森モーリーヒストリー1

11月に50歳の誕生日を迎える私、森モーリー。

そしてサルーキ=のワンマンライブ(森モーリー50thバースデー記念)が11/20日曜日に下北沢440にて行われます🙇‍♂️✌️チヨpresents‼️企画してくれて感謝✨

半世紀にわたり生きてきた!というより生かされてきたことに感謝して✨この50年をバーっと振り返ってみよかと思う。。😅長いので時間ある時にでも読んでみてください。

【森モーリーの生誕〜小学校時代編】

1972年11月21日(バースデーライブは11/20ね‼️)嵐のような明け方5時台に生まれたらしい。決して裕福ではないが不自由することなく、まったくA型らしくない両親とおばあちゃん(僕が3歳の時に亡くなる)とおば(ねぇちゃんと呼んでいた)が暮らす森家に3人兄弟の次男として生まれてすくすく育つ。父は小豆島バス会社の運転手で弱い労働者の味方、平和を愛する熱血赤レンジャータイプ。母はバスガイド、父を支える青レンジャータイプかな。父も母も親を早くに亡くし、苦労人だった。自分達が苦労して来た分、僕ら子供達には苦労させまいと良く育ててくれた。感謝です。

覚えていないが僕は幼稚園まではヤンチャだったらしい。近所のお兄ちゃんたちに「おまえら〜」と言って向かって行っていたらしい。弱いくせに^_^

泣いたらよく「よわし」と言われていた。名前は「つよし」なだけに笑

おそらく僕が幼稚園の頃かなぁ、父は小豆島バスの労働環境を良くしようと組合運動を盛んにしていた。よく会社のお偉いさん達と戦っていた印象。昭和51年、会社側にでっち上げの罪を課せられ組合員3名が逮捕されたのだ。そのうちの一人が父だった。逮捕から3日目くらい?に無罪が証明され不当弾圧に打ち勝ち、高松の拘置所から小豆島にフェリーで帰ってきたらしい。その時、港には島民400人の仲間たちが涙を流し歌を歌って迎えたと小豆島闘争記に記されている。この時の記憶はほとんどないが父からしょっちゅう聞かされていたので心に刷り込まれている。「父ちゃんな〜。会社のえらもんに事務所にトイレ作ってくれ!言うたら逮捕されたんや〜」と。^_^

小学校に入ると1年2年と担任だったH先生というめちゃくちゃ厳しい先生の教育を受け、毎日おびえるように小学校に通う。とにかく怖かったのを覚えている。忘れ物をしようものなら、びんたか、ほっぺをつねられる。今だとアウトな感じの教育だがそれが良しとされていた時代。ある時、たぶん2年生。僕は向かいの親戚のおばちゃん(ばーばんと呼んでいた)が飼っていた「みーこ」という猫のことを書いた作文が選ばれて、受賞した。その作文の清書のため、放課後残ってH先生と二人きりの教室でその清書をした。その時も怖かった😅とにかく厳しい先生だった。元気かな。H先生。当時27歳だったH先生だから僕より20才上の計算。今は70か。会いたいな。

そんな小学校1.2年を過ごす中、仲の良かった友達けいくんとしょっちゅうレコードを聞いて遊んでいた。当時、テレビで堺正章さんが孫悟空役を演じる西遊記に夢中になった。そのテーマ曲が「モンキーマジック」そうゴタイゴです。エンディング曲の「ガンダーラ」や「holy &bright」挿入歌の名曲「THANK YOU, BABY」とにかく好きだったなぁ。その友達けいくん家に行ってはレコードを聞いていた。ダウンタウンブギウギバンドのレコードもあったり。カッコよかった。あとはザ・ベストテンをよく見ていた。マッチやトシちゃん、聖子ちゃん。アイドル全盛期^_^その中ではマッチが好きだった記憶。八代亜紀やジュディオングも好きだった。昭和の時代やなぁ。

小学校3年に上がるとクラス替え。新しい風が吹くように、担任の先生も変わる。僕は厳しい1、2年の時のH先生から解放され嬉しかったのか、完全に調子に乗った。授業中もふざけてばかりだった。学校に行くのも楽しくて楽しくて、調子に乗っていた。イキっていたのだ🤣

ある日、新しい担任のT先生は授業中にふざけすぎていた僕を見かねて注意した。それでもまだふざけていた僕は、教室の前に呼ばれてみんなの前でビンタ。簡単に泣いた僕はシュンとなりその日から縮こまってしまう。わりと引っ込み思案になっていった僕は小学校4年から少年野球と剣道、そして夏は水泳記録会の選手にも選ばれて、スポーツ少年だった。少年野球では8番レフトだったかな。下手だったが、友達と楽しく野球をしていた。剣道は冬の練習や、かかり稽古がつらすぎて好きではなかったが3年間続けた。水泳記録会の練習は生涯の中でもトップ3くらいにはいる体力的な辛さがあったが、このおかげできっと体は丈夫に育ったんだと思う。

けっこう泣き虫な方だった僕。兄とケンカして泣いて反撃する!みたいな。泣いて反撃して、ドロップキックしたら兄は鼻血だす!みたいな。感じ?^_^

そうそう、この頃はプロレスにも夢中。ゴールデンタイムだったものね。新日、全日、夢中で見ていた。馬場、猪木、初代タイガーマスク、ハンセン、ブロディ、タイガージェットシン、上田馬之助、ミルマスカラス、ドスカラス、ダイナマイトキッド、小林邦明、ラッシャー木村、藤波辰爾、長州力、坂口征二、ジャンボ鶴田、ブッチャー、バッドニュースアレン、ホーガン、ハーリーレイス、レスソントン、ニックボックウィンクル、レネグレイ、リッキースティムボート。。。思いつくままレスラーの名前を書けるくらい好きだったんだなぁ。
プロレススーパースター列伝やプロレス大百科、週刊ゴングなどなど。教科書だった。この辺りのプロレストークはわかるのでチヨさんとたまに盛り上がる。知っている選手の名前を言うだけの幸せ。

レスラーの中でも特に初代タイガーマスクは好きすぎて自分で手作りのタイガーマスクを作っては被り鏡の前に立ってニヤニヤしていた🤣そんな少年だった。

同じ頃、ブルースリーやジャッキーチェンなどのカンフー映画にもはまっていた。よく友達とカンフーごっこをしたものだ。カンフーも好きすぎて自分で自作のヌンチャクを作ったこともある。カンフー映画のサウンドトラックを買っていたのもこの頃。大人になってから知ることになるがジャッキーチェンの酔拳のサントラには今は亡きあの名プロデューサー佐久間正英氏が在籍していた四人囃子の曲「カンフージョン」が入っている。

うーん、小学校の時から音楽は好きだったみたいね。

エピソード。たぶん小学校5年の時のある冬の雪の日(小豆島にも雪の日があった)一人でサッカーボールを蹴りながら広い田んぼに行って遊んでいた。思い切りボールを蹴飛ばすと田んぼの端にあった井戸にボールがホールインワンしてしまった。ありゃ〜と思い、上から井戸の中を覗いてみると、サッカーボールが見えた。井戸には水はなく、おそらく3メートルもないくらいの深さ。降りてとれるな!と思い、飛び降りてボールを拾い、上を見上げると。あれ、これ登れるか?登れんのんちゃうか?捕まるところが少なく、思ったより深い。断面図にしてみると上に向かって台形のような形をしていて登りづらい。焦った。めちゃくちゃ焦った。大声で助けを呼ぶが人は来ない。心臓はバクバクしてさらに焦り、何度トライしても登れない。腕も疲れて力が入らない。たぶん神様助けて!なんて祈っていたと思う。何度かトライしていくうちに不思議と登れた。助かった〜。神様ありがとう。助けてくれたんだと今は思っている。そんなエピソード😁

小学4年頃から仲良くなった浦山くんと僕の家でキン肉マンのボードゲームをして遊んでいた時のこと。僕がやってきたボードゲームのルールと浦山くんがやってきたルールが違っていたことが原因でケンカになった。「ワシのルールが絶対おうとる!」「いーや!お前のは、まちごうとる」ゆずらない二人。二人とも泣いた。母が心配してナシを剥いて持ってきてくれた。「ほらナシ食べ!仲直りしぃ!」と。二人とも泣きながら食べた。とてもおいしかった。「なし。。うまいなぁ。。」と言って簡単に仲直りした。

これもよく覚えているエピソード。浦山くんもピースオリーブをいつも手伝ってくれる。これもまた感謝だ。

小学校後半の3年間は引っ込み思案ではあったものの、友達と楽しくよく遊び、過ごしていたなぁ。

時には女の子に泣かされることもあった🤭なんかからかわれて、くやし泣き、的な。

よく覚えているのは小学校の卒業式。とても感動して大泣きしたのを覚えている。

こんな小学校生活を送っていた。

この時も神様は見守ってくれていたのだろう。

続きはまた😁

11/20は下北沢440にお集まりください^_^↓

……………………………………………………
11/20(日)東京/下北沢440
SALUKI= chiyo presents
森モーリー剛、生誕50年記念ライブ
「ロックンロールセレブレーション」
18:30/前売¥3500
※限定100名 ※整理番号順に入場

▽前売チケットはサルーキ=商店にてこちらから↓購入できます。よろしくお願いします🙇‍♂️
https://salukirock.theshop.jp/

コメント