いろいろと準備しています✌️
森モーリーヒストリー最終章。
ようやくまとまったので😅
時間ある方、お楽しみください〜。
【28歳から始めたロックバンドサルーキ=〜22年の歩み】
2000年の冬、渋谷の道端で出会ったチヨとの出会いから数回路上ライブに参加した。路上を終えた帰り道の井の頭線。チヨと一緒だったので、サルーキ=というバンド名でロックバンドを結成して行く上での情熱や熱い志をこの時、聞いたように思う。
年が明けて2001年の1月の雪の日。当時まだ大学生だったベーシスト川嶋くんと下北沢のスタジオに3人で入る。
この日、ロックバンドサルーキ=結成された。後にドラマーも入り4人体制に。
走り出したバンドはライブハウスと路上ライブでの活動をメインにとにかく思いつくことを手さぐりでがむしゃらにやった。ライブ動員集客のためのチラシ貼りやチラシ配り、路上ライブ用のバンドの看板作りなどいろいろ。
2002年12月初めてのワンマンライブをやり終えた後、猛烈に感動したことを今でも覚えている。わからないこともたくさんあったのでからぶりも多かったけれど、その時なりのピュアな情熱がライブを通して集まった人達にも伝わっていたのだと、振り返って思う。
サルーキ=をはじめて最初の2年間はまだコックを続けていた。よく深夜5時間パックでスタジオに入りバンド練習。そのまま始発電車で職場に行き、中華料理店の個室で仮眠。そしてそのまま1日働く!みたいなこともしていた。その時の勤務先は有楽町の本店。会社の中でも1番の高級中華料理店だったので、個室のソファは寝ごごちが良くて助けられた^_^
若かったとはいえ、仕事中、眠くて大変だったのを覚えている。
バンドとして上を目指していくには、社員としての仕事とバンドの両立はきつく、30歳を期に社員を辞めることに。
当時、怖い職人気質の料理長にドキドキしながら相談した。
「チーフ!男として話があります!僕はロックバンドで音楽の道を目指していきたいので、社員として続けていくのが難しいです。辞めさせてください!」
そしたら、
「バカやろー!おまえ何考えてんだ!。。。。(しばし沈黙)
そうかぁ。。わかった。。。。。でもバイトとして残ってくれ!」
^_^気持ちを受け取ってくれたのだろう。約7年間社員としてやったコックの仕事。その後はバイトとして雇ってもらい、バンド活動に専念できることになる。
サルーキ=はオリジナルメンバーでは約7年間続けた。7年目でドラムが抜け、3人になる。サポートドラマーを入れながら活動していたが次の年にベースも辞めることに。
それまで7年間4人で頑張ってきたことがいとも簡単に崩れ去ったのだ。お客さんも離れ、バンドとしては底のそこだった。チヨとモーリー。2人だけになった。
それでも僕はチヨと2人でも何かできるだろうと妙な安心感と、この逆境をワクワクしている自分もいたように思う。この時期はよく下北沢の放置自転車の脇でビールを飲みながら路上ライブをしていたかな。
ミーティングが多かった4人メンバー時代はバランスを取り合っていたのか。メンバーが抜けると関係性が変わったのだ。2人になると目標や決め事がサクサク決まる。2人しかいないからね。僕は悪く言うと能天気、良く言うと楽観的か^_^とにかくメンバー間の一致を早く決めて、Go!と行きたいタイプかなぁ。小さな事に忠実でバンドの舵をとるチヨと、わりと楽観的で寄り添う僕、このバランスがよかったのかもしれない。もちろんミーティングも大事だけどね。
そんな2人体制になったこの時期を「サルーキ=Z」と名付けた。
2009年4月にそれまでなし得なかった全国ツアーを2人で始めたる。ファンもほとんどいなくなった状況だったが目標を定めた。11/20渋谷オーウエスト、500人キャパのライブハウスを押さえたのだ。成功するかどうかはわからない。だけどやれると信じてやってみよう。深みに漕ぎ出したのだ。新しい一歩を踏み出した時、不思議と新しい出会いや新しい応援者が現れ、500人満員とはいかなかったが形になり、思い出に残るワンマンライブができたように思う。大きなターニングポイントだった。
僕らはその後、さらにバカの壁を越え、ステップを踏んでいく。また全国を駆けまわる。
2011年1月の渋谷オーイースト1000人ワンマンライブ。この時のフルハウス感とステージに出た時の臨場感は今でも忘れない。スライダーズのジェームスさんがいて、元ZIGGYの松尾宗仁さんもゲストで来てくれた。なんだか夢のような話。
その2ヶ月後の3.11大震災。被災地にはツアーで知り合った友達も多くいる。おのずと復興への思いも深まり、被災地に出向き仮設住宅などでもコンサートを通して励ましに行くようになる。励ましに行っのに逆に僕達が励まされるような経験をたくさんした。
「復活」をテーマに2012年9月、あの渋谷公会堂でもワンマンライブをやり遂げた。ゲストはLORANのYASSさん。そして岩渕まことさん。
2009年のバンドとしては最悪の状況から2012年の渋谷公会堂まで。わずか3年の出来事である。
こんなシナリオを誰がかけるだろうか。これにはパートナー、チヨの神様への信頼と信仰が大きく影響していると思う。当時まだクリスチャンではない僕も含めて世の中の多くの人たちは神様に「頼る」とか「祈る」ということから距離をおいて自力で生きようとする。しかしクリスチャンの人たちは神様の計画、神様のみこころがなりますように、神に頼り祈る。その祈りがチヨをリーダーとしたサルーキ=の活動を大きく用いてくれたから出来たことのように思う。
そのあと2013年。なかなか次なる目標が決まらなかった時期に友達の牧師から「ブラジルに行かないか」という話が舞い込んできた。
ブラジル??
全くピンとこなかったが、バンドのストーリーとしては実におもしろい!サルーキ=ブラジルツアー!^^ ブラジルのマナウスという200万人の都市でJesus マーチというクリスチャンの大きなイベントがあり、そこにサルーキ=を連れていきたいという話。と言っても渡航費を出して貰えるわけでない^^
マナウスはこの20年のうちに治安の悪かった街が賛美と祈りで変えられ、100万人の人達がクリスチャンとなったという。
僕らは渋谷公会堂のあがりを渡航費にあて、またまたバカの壁を越え、ブラジルに飛び込んで行った。僕にとって初の海外がブラジル。急いでパスポートも作った。
言葉も通じない異国で、しかもそのJesusマーチで演奏できるかどうかさえわからなかったが「迷わず行けよ!行けばわかるさ!」アントニオ猪木さんの言葉にもあるように。まだ起こっていないことに希望を持って、そんな気持ちで行った。
その勇気ある一歩はその後、僕達サルーキ=を大きく変えるような体験をさせてくれた。100万人が参加するそのJesusマーチに参加した。前を見ても後ろを見ても人が途切れているところが肉眼で見切れない。その群衆はみんなにこやかに明るく、喜びが溢れていて神様を讃えて歌い踊りながら街を練り歩いている。病院の前を通ると、一斉にみんな立ち止まり、病人のために癒しの祈りをしている。誰もお酒も飲んでいない。
企画している実行委員会の牧師たちは人々が怪我のないように命がけで注意を払い守っている。
なんなんだ。これは。
100万人の群衆は30万人収容の大きなスタジアムに流れ、そこでコンサートが行われていた。神様を賛美するワーシップコンサートだ。ここでサルーキ=が3曲演奏できることになった。
なんなんだ。これは。
こんな100万人規模のイベント。誰が指揮をとって誰が治めている?もちろん実行委員会が仕切っているが人間ができることには限界がある。この時僕ははじめてリアルに「神様はいる」と思った。
神様が治めているとしか思えないようなこの光景を目の当たりにしたのだ。
大群衆の前でサルーキ=は3曲を精一杯演奏した。ブラジル人は尋常じゃないノリの良さと、日本からロックバンドが来たということで、僕達は大、大、大歓迎されたのだ。
そんな2013年。僕らは奇跡的なブラジルツアーを経験し、「今も生きて働く神様」の体験をした。
まだクリスチャンではない僕のことまで快く寝泊まりをさせてくれたマナウスの牧師エリベルト先生ファミリーに心から感謝している。本当に良くしてもらった。
ブラジルツアーはこの年も含めて4年連続で行った。
2014年。気づけば結婚をして5年が経っていた。妻の夢は出産、子育てだったが、その5年間、子供を授からず、僕と妻は40を過ぎていた。気持ちは焦り、病院に行ったが、期待しても子供は来ない。僕は妻の夢を叶えてやることもできず、2人とも精神的に辛い時期があった。大きな壁が目の前に立ちはだかり、それを乗り越える方法もわからなかった。
この時、初めて。チヨやみさちゃん、そしてクリスチャンの友達が信じているJesus、ブラジルで奇跡を見せてくれた神様に頼ってみようと思った。
当時住んでいた家から1分のところに教会があった。妻と2人で何か突き動かされるようにその教会の礼拝(夕礼拝だった)に参加し、祈り方もわからなかったが心の中で、「神様、僕達夫婦に子供を授けてください、助けてください。」と祈った。この日はイースターの日だった。
すぐには何も変わらなかった。
しかしその1ヶ月後。奇跡は起こった。その祈りがきかれ、妻が妊娠したのだ。子供を授かった。
イースター礼拝の日に神様に頼った祈り。イエス様の復活の命と僕達夫婦に授けてくれた新しい命のことを思うとなんともアメイジングな恵みである。
ああ、神様。なんということでしょう。クリスチャンの仲間が信じているイエスキリストの神様は、クリスチャンではない僕達夫婦の小さな祈りさえもきいてくださったのですね!
リアルに祈りがきかれ恵みが与えられたこと。
聖書にこう書いてある。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイの福音書7章)
ポイントは「誰に」それを求め祈るのか。
僕達夫婦は初めて心からJesusに祈り頼ることができた。
ここにはもう一つ忘れてはいけない大切な祈りがあったと思う。バンドのパートナーであるチヨ、そして神山みさちゃんはじめ、出会った多くのクリスチャンの方達、また会ったことのないクリスチャンの方達も、見えないところで、僕達夫婦がJesusに頼ることができるようにと祈ってくれていたことです。心から感謝します。
2014年、待望の第一子を無事出産した。名前は風とかいてふう。あとから知ることになるが「風」はよく聖霊にたとえられ、ギリシャ語でプニューマ。霊、風、息と訳されると知ってびっくりした。
心から神様に感謝して、毎週日曜日にはその教会の礼拝に出た。妻は子育て奮闘中。僕も父親となり家庭を支えていくために働く。しかし、次なるピンチが。それまで共働きだったうちの家計が僕の収入だけでまわっていかなくなった時期。また神様に頼り祈りました。
「神様、家賃も払えなくなって経済的にとてもピンチです。どうか安い家賃のアパートを与えてください」
と。
不思議なことが起こった。妻がダメ元で申し込んだ競争率40倍もある市営住宅が一発で当たったのだ。
また祈りがきかれた!
うおー。神様。またやってくれました。
その年2015年。サルーキ=がアメリカツアー中。小さな家庭集会の賛美の中、涙があふれholy なspirit聖霊にふれ、洗礼を受けたい。クリスチャンになりたいという気持ちが溢れてきた。
アメリカツアーを終え、日本に帰ってきて通っていた教会の牧師にそのことを伝えると、妻と赤ちゃんを連れて家族で洗礼の学びをゆっくりと19回もしてくれました。そんな中、11/20にサルーキ=の夢でもあった日本武道館のステージにクリスチャンの大きなイベントで立つことができた。ありえない恵みがどんどん与えられた。
洗礼の学びをする中で最終的に妻も導かれ聖霊にふれられ、洗礼を受けたいと言った。夫婦で洗礼を受け2015年12月6日に晴れてクリスチャンとなることができた。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
マタイによる福音書 11:28
子供を授からなかった期間の心の重荷、弱く疲れ切ってどうすることもできず、もうこれ以上前に進めないよ、と嘆いていた時。Jesusは私のところに来なさいと言ってくれていたのだろう。そのふところに飛び込み頼ることができたのも神様の導きだと思う。そこには平安があり、また何にも変えられない新しい命という恵みが与えられたのだ。サンキューJesus。
その年からサルーキ=にサポートドラマーとして参加しているクリスチャンの田中翼くんと活動を共にし、2016年2017年と日比谷野音ワンマンライブも経験した。
2回目の7/16日比谷野音の4日前、7/12に第二子が与えられた。名前は息吹(いぶき)。神様が人に命の息を吹きこんでくれた。その息吹。この「息」もギリシャ語のプニューマの意味の中にある。神様に導かれて妻は息吹にしよう!と。不思議なことだ。ちなみに翼くんと同じ誕生日。
息吹が生まれて1ヶ月後のこと。僕は妻の産後のサポートを頑張る時期。なんと交通事故にあった。
僕はバイクで直進、対向車は右折車。いわゆる右直事故。ほぼ正面衝突。死んだかと思った。すぐに救急車で運ばれ入院は1日。打撲なので帰ってくださいと。え〜っ。めちゃくちゃ痛いんですけど😅骨も折れてないので。家で安静にとのこと。2ヶ月くらい動けなかったが。これも神の御手が入ったような、奇跡的な出来事だった。守られたのです。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
コリントの信徒への手紙一 10:13
サルーキ=の22年の歩みの中、良い時もあり、つらい時もあった。しかし、振り返るとそれは耐えられないような試練ではなく、全て乗り越えられた試練だった。
その証として「今」バンドの活動が続いているということだ。
必ず脱出の道が備えられ、開かれ、その試練の山も乗り越えて来られたということ。
神様は真実の方。良いお方。憐れみ深く親切なお方。私たち人間のことをいつも気にかけてくれている愛の方です。
生きているといろいろある。戦争、災害、疫病。もう人間の力ではどうしようもないような出来事がたくさんある。ここ数年のコロナ時代もライブの本数は激減したが、日毎の糧が与えられ、道は開かれてきた。
このサルーキ=の22年間の歩みの中で、初めのチヨとの出会いから、また応援してくれているみなさま、友達や家族、クリスチャンのみなさま、そして神様と出会えたこと。全部!心から感謝します。
全ては神のみての中にあり、揺るがない岩であるJesusと共に歩む人生。これからも楽しみだー!
50歳を迎える節目に長々と書き留めてみました。読んでくださった方!本当に🙇♂️ありがとうございます😊
11/20は下北沢440でお待ちしています。モーリー50thロックンロールセレブレイション‼️みんなで楽しみましょう♪😁
遠方の方。配信チケットで応援してね^_^よろしくお願いします。
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